こんにちは。JOURO(ジョウロ)代表の青木です。「虹ノアトリエ」という花業界専門オンラインサロンを運営したり、花と緑に関するサービスの開発提供をしています。
いきなり結論から言いますと、アートが素晴らしいと思う理由は正解がないこと。だから争いが起きない。みんな正解。
一つのアート作品について、俺は私はこう思う!って価値観をそれぞれが持ち、それぞれの価値観を認め合う、なんと素晴らしい世界なんだろうってほんと思います。
これについてこちらの記事でも少し触れましたが、今日はもうちょっと深掘りしてみたいと思います。
アートの定義
過去記事で何度か触れていますが、再度書きます。
アート=問題提起
デザイン=問題解決
これ、すごく大事な定義です。 その意味を特に考えずに使っている人って実は多いと思いますが、僕はこのように定義しています。
また、近年リベラルアーツの注目が高まっていますが、リベラルアーツってそもそも何?って方もいると思うので解説しておくと、一般教養とか自由を手にする力とか色んな定義がなされていますが、僕が参考にしている考え方は「本来はこう」という考え方に基づいたものです。日本独自の解釈ではなく欧米ではこのように考えられている。という前提のものです。
それによると、まず学問の入り口にあるのが「リベラルアーツ」でそこから大きく2つに分かれます。
アート・・人間が作ったもの
サイエンス・・神が作ったもの
この2つです。 だから例えば「心理学」って実はサイエンスなんです。人間は神様が作ったものだから。日本ではいわゆる文系に分類されるので、サイエンス?って感じになりますが、欧米からすると日本がむしろヘンテコな感じのようです。
なので「花」とか「植物」はサイエンスなんですね〜自然科学です。だから花や植物そのものを学ぶってことは実はサイエンスなんですが、その花を扱う花屋という職業はアートってことになりますね。また、その花屋さんが作った花束やアレンジメントという商品もアートに分類されますね〜
で、その職業人を「アーティスト」って言ってるわけですが、これらから僕は花屋さんはアーティストだ!って言ってるし、フラワーアーティストとして内在するその可能性をどんどん解放してほしいとも思っています。
ざっくりいうと、日本で認識されている「アート」の意味が表面的なんです。絵画とか彫刻の作品のみを指している感覚ありませんか?でも本来はそうではなく、人間が作ったもの全てがアートなんです。だから僕らも毎日仕事やプライベートを通じて何かを作っているわけなので、立派なアーティストなんですよ!
花屋さんもアートだから
今回記事のタイトル「アートが素晴らしいと思う理由」について戻りますね。
前述したとおり、アートには正解がありません。過去蓄積されたデータやノウハウを参考に正解を導き出すとかそういう世界では全くありません。だから僕はその考え方が好きなんだなーと思います。
花屋さんという切り口で見た時。 東京世田谷の花屋さんには、その花屋さんの考え方がありスタイルがある。 長野の花屋さんには、その花屋さんの考え方がありスタイルがある。 広島の花屋さんには、その花屋さんの考え方がありスタイルがある。 全て正解なんです。その規模感も関係ありません。 制作する商品のボリュームがどうだとか、この束ね方はありえないとかそれはあくまでその人の主観であって正解ではない。
強いていうなら、それがお客様に受け入れられているか?それが受け入れられないと商売として継続できなくなる。そこが一番のネックだと思う。だから自分のアーティスト性に蓋をして「最適解」を導き出そうとする。
ま、でもこれも生きていく上では大事なこと。でもこれが全てになって欲しくない。自分だからこそできる表現があるはずなので、そこを遠慮なく表現してもらいたいし、それを社会に橋渡しするのが僕の役目だと思っている。
こうやって、全部正解!の世界が広がっていくことって、大きなこと言えば「世界平和に繋がる」とさえ思っています。だって認め合うんだもん。みんな素晴らしいんだもん。正しさを主張し合う争いが起きないんだもん。
だから花の仕事を通じてそこを目指す。これは実はごくごく自然な流れなのかもしれません。
僕は花は作れないけど、フラワーディレクターという職業を通じて花の仕事に関わる「人」にフォーカスしています。その人が持つ可能性をどうやって橋渡しできるか?それを考えるのがこのフラワーディレクターの仕事です。
仲間が欲しい。
最近ふとそんなことを思うようになってきました。
それではみなさま、今日もがんばローズ🌹
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